哲也にとって、カブトムシはものすごい存在だった。
強い!大きい!カッコいい!
少年なら誰しもが一度は憧れる・・・。
そんな虫がカブトムシではないかと思う。
小さなころから図鑑や本で昆虫のものばかり見ていた哲也にとって
カブトムシは本当に憧れの虫だった。一度は手にしたい。
しかし、まだ3歳ほどだった哲也に、それを手に入れる術はなかった。
そんな中、急に本物のカブトムシと出会う機会が与えられた。
父が「ただいま」と家に帰ってきた。
いつものようにおかえりといいながら出迎える哲也に、父はいつになくにやにやとした顔を向けた。
いつもなら寄ってくる哲也を抱きかかえてくれるはずの両腕は背中に隠している。
不思議そうな顔をしている哲也の目の前に、父は缶の箱を差し出した。
お菓子か何かかと思ったが、よく見るとふたにキリのようなものでいくつか穴があけられていた。
そして、なんかガサガサ音がする。
「あけてごらん。」
哲也は父に言われるがまま、何かわからないうちにふたを開けた。
「うわー!」
思わず声を上げた。
そこにはオガがいくらか敷かれ、その上にスイカの皮と一緒にカブトムシのメスが1頭入っていた。
「すごい!カブトムシやん!どうしたん?」
「田中橋で拾ってきたったい。」
父は得意げに言った。
「ありがとう!」
メスではあったが、本物のカブトムシが目の前にいる。
あの図鑑の写真でしか見たことのなかったカブトムシが、そこにいてさわれるのだ。
嬉しくてたまらなかった。
しかし、疑問が残る。田中橋?橋の上で拾う?
どういうことだろうか?
※田中橋=哲也の実家の近くを流れる多々良川にかかる小さな橋の一つ。水生昆虫編参照
哲也は父に尋ねた。
「なんでカブトムシが山じゃなくて橋におると?」
父はこう言った。
「虫は夜に明かりに集まるったい。それも橋の電灯に飛んできたとよ。」
そういえば、昆虫の本に夜に外灯に集まる虫たちがいることが書いてあった。
しかし、本当にいるとは・・・。
「たまたまメスやったばってん、オスもくるときあるっちゃなかろうか。」
父はそういうと、
「今度の夜、一緒に見に行ってみるか?」
と言ってくれた。
「うん!」
この申し出に哲也が断わるわけがない。
ただ、哲也の父は前にも書いたが、このころ長距離トラックの運転手をしていた。仕事に出ると大体3、4日帰ってこないことが多かったので、出かけるのは次に父が休みの時ということになった。
その日、哲也はカブトムシが気になってなかなか眠れなかった。何度もふたを開けて観察した。
そのうち、どうしてもオスがほしいと思った。