ある休日の朝早く・・・。
「哲也!起きろ!」
という父の声で目が覚めた。
休みの日に起こされるとか、ほとんど経験したことがなかった。
なんだ?
と思っていたら
「はよ着替えて出かけるけん、準備しろ!」
と言う。
わけがわからず
「どっか行くと?」
と聞くが、何も言わない。
とりあえず着替えると
「釣りに行くけん、道具もってこい。」
と言われた。
釣り?やった!
しかし、どこに何を釣りに行くか言われないので、何の準備すればいいかわからなかった。
「何釣るん?道具どれもっていけばいいかわからんっちゃけど。」
「お前、なんかルアーとかいうの持っとったろうが。」
父はルアー釣りはしないはずだがそういうので、とりあえずルアー釣りの用意をした。
終えると父は車に向かった。
わけわからないまま車に乗った。
こういうときの父は
「どこに行きようと?」
とか聞いてもどうせ答えない。
哲也は行き先を聞くことをあきらめ、黙って座った。
車の中では、学校のこととか、友達のこととか話したが
行き先の話は一切しないまま車はどんどん進んでいく。
1時間半ほど経っただろうか?
朝早く出たので、まだ時間は9時にもなっていない。
父は車をとめた。
道を覚えてはいなかったが、途中から大きな川のそばを通ったのでなんとなく察した。
「筑後川?」
「そうたい。」
「なんで?」
「この前、行きたいって言いよったろうが。」
「うん!ありがとう!」
こんなうれしいことはない。
父がわざわざ少ない休みを使って、哲也を筑後川まで連れてきてくれたのだ。
父は、例によっていつものハヤ釣りのしかけしか持ってきていない。
ここでもハヤを釣るらしい。今晩のおかずにはこまらないだろう。
哲也はルアー釣りの準備をした。
そして、父が釣り座をかまえたところから少し離れた場所でルアーを投げ始めた。
本では、ミノーやワーム、スピナーでナマズを釣ってる写真を見た。
当然、それを真似してそれらを試していく。
しかし、何度投げても、どれを投げても何もヒットしない。
離れたところにいる父をふと見ると、オイカワかなんかだと思うが、小さな魚を釣り上げてはビクに入れている。
父は思惑通り、今晩の空揚げの材料を手に入れている。
しかし、哲也はなんの成果もあげていない。
ただ時間と体力を浪費していた。
ふう・・・。
哲也は大きくため息をつき、川を改めて眺めた。
広くてでかくて深くて・・・。
どこからせめていいのかわからない。
ミノーは浅くしかもぐらない。
ワームは深場を攻めれるが、早く巻けないので何度もポイントを変えて探ることができない。
スピナーは軽くて遠くに飛ばしづらく、しかもなかなか深く沈まない。
哲也は深場を攻めたいと思った。そうすると上記の理由でこれまで使ったものはやりにくい。
本には載ってなかったが、スプーンにしてみるか・・・。
スプーンなら重さがあるので遠くに飛ばせるし、着水してすぐ巻けば浅場、着水して時間をおいて巻けば深場を攻めることができる。
そもそもなんでも食べるナマズだ。ミノー、ワーム、スピナーにしか反応しないなんてことはないだろう。
哲也は少し大きめのスプーンを取り付けると、再び川の方を向いた。
そして大きな岩が頭を出しているところの少し先に投げた。
慌てずにスプーンを少し沈め、そこからリールを巻き始めた。
スプーンは思惑通り、あの大岩の横を通過する。
とりあえずアタリはない。
ダメか?
と思った瞬間だった。
ガクン!
竿先が大きく曲がった。
何かに引っかかったのか?
少し抵抗のあるリールをなんとか巻く。
根がかりだと厄介だ。
少ないお小遣いから少しずつ集めたルアー。
どれも貴重品。失うわけにはいかない。
しかし、そのあとグンと竿が重くなり大きく曲がった。
「根がかりしちゃったか・・・。」
哲也はガックリしつつ、竿を立ててみた。すると・・・。
「ん?動いてる?」
なんと!何かに引っかかってると思っていたのに、急に糸が走り出した。
「魚だ!なにかかかってる!」
哲也は確信し、興奮した。
間違いない。手にプルプルと伝わるこの感覚。
しかもこれは大きいかもしれない。
筑後川はナマズのほかにライギョもいるし、ウグイやニゴイのような、ルアーで釣れる魚がいる。
姿が見えないので、まだ正体はわからない。
突然!ヒキがめちゃくちゃ強くなった。
おそらく、自分がくわえたもののせいで引っ張られてることに気づいたのだろう。
深場へと潜っていきつつ、左右へ動く。
「でかい!」
哲也は思わず叫んだ。
手がしびれる。リールが巻きずらく、竿を立てるので精いっぱいだ。
しかし負けるわけにはいかない。
哲也はとにかく竿を立て、そいつが弱るのを待った。
かなり暴れてから、そいつはふわっと水面から飛び出した。
「ナマズだ!」
その姿を見間違うはずがない。
多々良川ではお目にかかれない、大きなナマズだ。
哲也は焦りを抑え、とにかく竿さばきに集中した。
そして、少しずつリールを巻き、その距離を詰めていった。
ついにその姿が水面近くまで来てあらわになる。
「でかい!」
思わずまた叫んだ。
そして父の言葉を思い出す。
「顔を水面から出さなきゃ。」
哲也は必死に竿を立てて、その顔を水面から出そうとする。
ナマズも黙ってはいない。
からだを翻し抵抗する。
そのたびに腕がちぎれそう!とか思いながら、なんとか耐えた。
そしてそいつの顔を水面から出すことに成功した。
距離もかなり詰まって、あと7~8mとなった。
ここで一気にリールを巻く。
グイグイ寄ってくる。
もう少しで手が届く・・・。
バシャ!
ここにきて最後の抵抗を見せる。ナマズがしっぽで水面をたたき、なんとか逃れようとする。
しかし、哲也の腹は決まっていた。
あの口かエラに手を突っ込む。
なんどもナマズを手づかみしてきた手だ。
その感覚はしっかり覚えている。
ただ、こんなでかいやつにはやったことないので、少し恐怖感を覚える。
翻ったからだも、再び口を水面から出し、岸に向かってくる「哲也有利」の態勢になった。
そしてもうすぐそこに顔がやってきた。
「今だ!」
バシュッ!
哲也はその口に手を入れた。
そしてそのまま親指と人差し指で、そいつの下唇をつかんだ。
ギザギザした歯が痛いが、そんなことにかまってられない。
そのまま哲也はナマズを岸に引きずり上げた。
ついにナマズは陸に上がった。
そのヌルヌルの体に、草や泥をまとわりつかせながら、その場で暴れるがもう後の祭り。
哲也はしっかりキャッチし、メジャーで体を測った。
サイズはなんと!52cmもあった。
そのあとも何度かルアーを投げたが、結局その日はそれ1匹だった。
父がオイカワや小型のウグイなど20匹以上釣ってたのがちょっとうらやましかったが・・・。
しかし、哲也は大満足だった。
こうして哲也とナマズの激闘は幕を閉じた。
あのときの手に伝わる感覚と、ナマズの持つ強大な力は
今も哲也の心に深く深く刻まれている。
ちなみになんでも食べる父・・・。
ナマズも食べるために持って帰るだろうと思っていた。
しかし・・・。
「ナマズはいらんばい。」
「なんで?食べんと?」
「前、うなぎみたいにかば焼きにしてみたばってん、あんまりうもうなかったったい。」
※うもうない。→うまくない。おいしくない。
というわけで、せっかく釣ったナマズだったが、逃がして帰ることになった・・・。