残念ながら、そのころの哲也には
幼虫飼育する際にマットを堅詰めするという知識はなかった。
そもそも幼虫は自然界では朽木の中で成長する。
それをマット(オガ)で飼育するのだから、堅く詰めることで木の中であるかのように再現するわけだが、小学生の哲也にはそこまでの考えには至らなかった。
コクワガタの幼虫のときは、幼虫も小さくて、マットを食べる量も少なかったために事なきを得たが
今回の幼虫はそのときのものの2倍以上の大きさがある。
何の幼虫かはわからないが、コクワガタではないのだろう。
当然、マットを食べる量も多い。
そのため、ビンの口付近まで入れていたマットが1か月もすると、かなり減っている。
哲也は減りが目立ってくると、マットを継ぎ足していくことにした。
そうするうちに春が来て、次第に暖かくなってきた。
減るのも早くなり、とにかくえさを切らさぬよう、こまめに継ぎ足した。
梅雨のころだろうか・・・。
もうすぐ夏だというのに、それまで活発に動き、えさを減らしてきた幼虫だったが
ここにきて、あまりマットを食わなくなってきた。
哲也は心配になってきた。
何かが悪くて、死にかけてるんじゃないだろうか・・・・。
不安はつのるが、何もできない。そもそも原因もわからない。
実は哲也はカブトムシの幼虫で一度失敗している。
幼虫の姿を確認するため、何度も掘りだしたり、さなぎをさわりまくったりして
死なせてしまったことがある。
哲也はとにかくえさを切らさず、さわらないことを心掛けてきた。
それなのになぜ・・・?
しかし、あるときその疑問が解決する出来事が起こった。
「部屋つくってる!」
びんの壁を利用して、幼虫のからだの2倍ほどもある大きな空間ができていた。
その中で幼虫は丸くなったまま、あまり動かない。
もしかしたら、さなぎになる準備じゃないか?
哲也はもう一度、図鑑や本を読みかえした。
確かに、さなぎになるためには部屋をつくるようだ。
そして、部屋の中でしばらくしてさなぎになり、しばらくして羽化。
その後休眠して翌年の夏に出てくるらしい。
哲也はそれが本当かどうか、観察を続けた。
そもそもしばらくしてって、どのくらいだ!っていう話だ。
今にして思えば、こういう期間というのは、種類や大きさ、温度、環境などでかなり変わるので、一概にこのくらいです!と言えないのはわかるが、そのときの哲也にとってみれば、なんで詳しく書いてくれないのか!と思ったものだ。
部屋を確認してから1か月ほど経っただろうか。もう梅雨も明けるというころ・・・。
哲也は遊びに行ってから帰ってきて、ビンを見て感動した。
「やった!さなぎになってる!」
そこには大きなノコギリクワガタのさなぎが横たわっていた。
間違いなくノコギリクワガタとわかる大あごの湾曲・・・。
「ノコギリや!絶対ノコギリや!」
この日はかなり興奮していたと思う。
父にもおばにも祖母にも、一生懸命見せながら説明したのを覚えている。
興奮していたので覚えていないが、おそらく3人とも
「そうか、よかったな」くらいの軽い反応だったように思う。
しかし、哲也にはそんなことはどうでもよかった。
図鑑でしか見たことのないクワガタのさなぎが目の前にある。
しかもそれはまぎれもなく”水牛”のものだろう。
こんなすごいことはない。
うれしすぎて友達も何人か呼んで、見せびらかした覚えがある。
さらに1か月ほど経っただろうか・・・。
夏真っ盛り。
時期的に言えば夏休みの半ばくらいだったと思うが、虫とりから帰って、びんを見てびっくりした。
「羽化してる!」
さなぎの殻をぬぎ、羽はまだ伸びてなくて、体は白くて、大あごは曲げたままの姿のノコギリクワガタがそこにいた。
そいつはかんまんな動きで、ほとんど動かず、たまに手足や触覚を動かしていた。
それから数時間おきに様子を見に行った。
翌日、ほぼからだができ、全身ほぼ赤い色になっていた。
さらに数日たつと、大あごも前に伸ばし、体もまだ赤みを帯びているが、自然の色に近づいてきた。
結構大きな水牛だ。
カブトムシの失敗を活かし、ここでも我慢して触らず、様子を見守った。
1か月ほど経ち、季節はすっかり秋・・・。
そいつはほぼ、あのノコギリクワガタ特有の美しい色になり、羽も完全におさまり、大あごもしっかりした水牛となった。
冬のある日、とうとう我慢しきれずそいつをビンから取り出した。
動きは鈍いが、哲也の指にすごい力でしがみついてきた。
生きてる!という実感が手に伝わってくる。
そして冬にクワガタの成虫をさわれる幸せを感じた。
その後、冬の間何度か取り出して楽しんだりしたが
暖かくなってから、急に活発になり、エサも食べるようになった。
すごくうれしかった。
こうしてノコギリクワガタの幼虫飼育は成功した。
そんな思い出深いノコギリクワガタ・・・。
今も哲也の大好きなクワガタの1種である。