ねえちゃんというと、ふつうはお姉さんを指すのだろう。
しかし、哲也にとってのねえちゃんは父の妹。すなわちおばのことである。
おばは結婚、離婚を繰り返した。
結婚して遠くに行ったとき以外は、実家で一緒に住んでいた。
じいちゃんが生きているときはばあちゃんと父とおばと哲也で暮らしていた。
母がいない哲也にとって、おばはお母さんのような存在であったが、ママと呼ぶことはできない。
しかしおばは(そのころ若く)おばさんと呼ばれるのはいやだということで
哲也にねえちゃんと呼ぶように教育してきたのだ。
物心ついたころにはおばのことを(おばの思惑通り)ねえちゃんと呼ぶようになった。
以下、おばはねえちゃんと書くことにする。
哲也が小さいころ、一度結婚すると家を出たが男の赤ちゃんが生まれたころに戻ってきた。
すなわちいとこが誕生したときである。
それからそのまま一緒に住んだので、いとことは兄弟のように過ごした。
ただ、数年後ねえちゃんは借家に引っ越し2回目の結婚をした。
相手は前と同じだった。
なぜ家を出たかというと、家族から結婚をものすごく反対されたからだ。
家を出たといっても、このときは実家から歩いてもいける場所だったので哲也はねえちゃんやいとこに会うため時々遊びに通った。
そのうちまた赤ちゃんができた。こんどは女の子だった。
哲也にとってはいとこが二人になったのだが、弟と妹ができた気分だった。
そのため、いとこたちとは仲良くやっていた。
結局そのあと、またねえちゃんは離婚した。
ねえちゃんは自分の子を二人育ててたわけだが、同時に哲也のことも本当の子供のようにかわいがってくれた。まさに母と言ってもいい関係だったと思う。
哲也が大学で鹿児島に移り、その後も就職で実家には戻らなかったので、会う機会は減ったが
ねえちゃんはいつも哲也を気にかけてくれた。
ちょくちょく電話もかかってきた。
哲也に子供が生まれたときも、連れて行くと「孫ができた!」と言って喜んでかわいがってくれた。
そんなねえちゃんもちょくちょく病に倒れ、何度か生死をさまよい、そのたびに奇跡の復活を果たし医者を驚かせてきたのだが・・・。
先日、ついに亡くなってしまった。
最後の方はコロナ禍のため、入院中の見舞いにもほとんどいけず、なかなか会えなかったのが悔やまれる。
亡くなる少し前にビデオ通話したのが顔を見た最後だった。
意識がなくなり、もう助からないというときに連絡をもらったが、そのあとすぐに亡くなったそうだ。
もちろん葬式には駆けつけたが、いとこの話によれば、意識がなくなる少し前に
「哲也~。哲也~。」と繰り返していたそうだ・・・。
やはり悲しい。そして同時に感謝した。自分の子ではないのに本当に自分の子として、哲也のことを常に気遣ってくれてたんだなぁと改めて思った。
そんなねえちゃんの生涯は波乱万丈で、細かく語ればこれもドラマになりそうなほどである。
しかし、息子・娘に看取られ、幸せな生涯だったと思っているに違いない。
いずれにせよ、複雑な家庭と思われるであろうが、哲也にとってねえちゃんは大事な家族だったのである。