先日、だいぶ実がなりはじめたウチの庭のさくらんぼ。 ついに! しっかり色づいたものもでてきて 収穫となりました! なかなか甘くておいしい! まだ色づいてない実がたくさんあるので もうしばらく楽しめそうです!
昨日は家族で宇佐の千財農園に行きました! この時期、目当てはもちろん!フジの花です! おっ!咲いてる咲いてる! 八分咲きくらいでした。 このたれ具合・・・。いいですね! どこを見てもフジ! まじできれいすぎます! こんな木がたくさん! いや~。ただただフジ見て回るだけなんだけど・・・。 それでこんなに満足できるとは・・・・。 これがフジのパワーですかね!? 茶畑もいい色でした! 池の向こうの山の斜面の茶畑もいい感じ。 なんと!ボタン桜も満開でした! ちなみに・・・。 フジの木って電話のコードみたいだよね・・・。 と、くだらないネタは置いといて・・・。 374日目の発表です! 結果3.0km! 累計1779.9km! 残り220.1km! 千財農園はきれいですが広い!というわけではないので歩く距離は稼げませんでした・・・。 いや、いいです! めっちゃきれいだったから! みなさんもぜひ! 多分花の見ごろは今度の日曜くらいまでですよ~。
ねえちゃんというと、ふつうはお姉さんを指すのだろう。 しかし、哲也にとってのねえちゃんは父の妹。すなわちおばのことである。 おばは結婚、離婚を繰り返した。 結婚して遠くに行ったとき以外は、実家で一緒に住んでいた。 じいちゃんが生きているときはばあちゃんと父とおばと哲也で暮らしていた。 母がいない哲也にとって、おばはお母さんのような存在であったが、ママと呼ぶことはできない。 しかしおばは(そのころ若く)おばさんと呼ばれるのはいやだということで 哲也にねえちゃんと呼ぶように教育してきたのだ。 物心ついたころにはおばのことを(おばの思惑通り)ねえちゃんと呼ぶようになった。 以下、おばはねえちゃんと書くことにする。 哲也が小さいころ、一度結婚すると家を出たが男の赤ちゃんが生まれたころに戻ってきた。 すなわちいとこが誕生したときである。 それからそのまま一緒に住んだので、いとことは兄弟のように過ごした。 ただ、数年後ねえちゃんは借家に引っ越し2回目の結婚をした。 相手は前と同じだった。 なぜ家を出たかというと、家族から結婚をものすごく反対されたからだ。 家を出たといっても、このときは実家から歩いてもいける場所だったので哲也はねえちゃんやいとこに会うため時々遊びに通った。 そのうちまた赤ちゃんができた。こんどは女の子だった。 哲也にとってはいとこが二人になったのだが、弟と妹ができた気分だった。 そのため、いとこたちとは仲良くやっていた。 結局そのあと、またねえちゃんは離婚した。 ねえちゃんは自分の子を二人育ててたわけだが、同時に哲也のことも本当の子供のようにかわいがってくれた。まさに母と言ってもいい関係だったと思う。 哲也が大学で鹿児島に移り、その後も就職で実家には戻らなかったので、会う機会は減ったが ねえちゃんはいつも哲也を気にかけてくれた。 ちょくちょく電話もかかってきた。 哲也に子供が生まれたときも、連れて行くと「孫ができた!」と言って喜んでかわいがってくれた。 そんなねえちゃんもちょくちょく病に倒れ、何度か生死をさまよい、そのたびに奇跡の復活を果たし医者を驚かせてきたのだが・・・。 先日、ついに亡くなってしまった。 最後の方はコロナ禍のため、入院中の見舞いにもほとんどいけず、なかなか会えなかったのが悔やまれる。 亡くなる少し前にビデオ通話したのが顔を見た最後だった。 意識がなくなり、もう助からないというときに連絡をもらったが、そのあとすぐに亡くなったそうだ。 もちろん葬式には駆けつけたが、いとこの話によれば、意識がなくなる少し前に 「哲也~。哲也~。」と繰り返していたそうだ・・・。 やはり悲しい。そして同時に感謝した。自分の子ではないのに本当に自分の子として、哲也のことを常に気遣ってくれてたんだなぁと改めて思った。 そんなねえちゃんの生涯は波乱万丈で、細かく語ればこれもドラマになりそうなほどである。 しかし、息子・娘に看取られ、幸せな生涯だったと思っているに違いない。 いずれにせよ、複雑な家庭と思われるであろうが、哲也にとってねえちゃんは大事な家族だったのである。
今日は境川の河原でウォーキング! 別府湾とこいのぼりみながら歩きました! クロネコちゃんも応援してくれました! やはりこの時期はツツジ最強!ですね。 超きれいです! 真っ赤なツツジと鶴見岳が美しい! マツバウンランの群れに出会いました! かわいい花やねぇ~。 今日はテントウムシたくさん見つけたよ! 春だねぇ~。 そして・・・ついにアイツが始動! すっぽんです! やっぱ、生きてるすっぽん見るの楽しい! 今年初の発見でした! ここはすっぽんの数が多いので、これからも見れると思います。 では371日目の発表です! 結果3.9km! 累計1768.4km! 残り231.6km! いろんな生き物が動き始めてる!楽しい季節になってきた!
じいちゃんの紹介でも出てきたばあちゃん。 現在はすでに他界してしまったが・・・。 哲也にとって、ばあちゃんは本当に大事な存在だった。 実は哲也には母がいない。 このことは必要なので、また別に詳しく書くが ばあちゃんはそんな哲也をかなり大事に育ててくれた。 畑いじりが好きで、作物をつくったり、花を植えたりしていた。 収穫を手伝うのは日課であった。 まだ哲也がおさないころは土木現場で働いていた。 じいちゃんが亡くなって何年か経ったあるときからだを壊して、仕事に行けなくなった。 入退院を繰り返したが、調子いいときはとにかく畑いじりをしていた。 これも後述するが、父もからだを壊し収入がなくなったとき、ウチは生活保護を受給することになった。 そんな中、堅実なばあちゃんは哲也のためとコツコツお金をためていて、大学行きたいという願いも叶えてくれた。思えばかなり苦労かけたものだ・・・。 哲也が大学生になり鹿児島に行き、そのあとの就職も県外だったため、帰省した時しか会えなかったが、いつも会うとほっとした。それだけ哲也にとってばあちゃんは大きな存在だった。 心臓病になり手術したときのこと・・・。 県外で塾講師として働いてた哲也に、ばあちゃんは「ウチがこうなったのは知らせんどき。」とまわりに口止めしてたらしい。 そのため手術のことを聞いたのは、体調が落ち着き退院したあとだった。 怒りたい気持ちもあったが、哲也の仕事に支障を出すまいと口止めした気持ちを考えると怒れず、ただただ気を使わせて申し訳なかった。 それからしばらく元気だったようだが、あるとき心臓病が再発。瞬く間に弱り、駆けつけたがほとんど意識がない状態だった。 それからしばらくしてばあちゃんはこの世を去った。 何もしてやれず、もっとそばにいれたらと思ったが、ばあちゃんは常日頃、哲也が元気で家族と仲良くやってくれてれば幸せなんだと言ってたらしい。 こんなばあちゃんを哲也は誇りに思っている。 長女が小さいころ、実家に連れていき、ばあちゃん含めみんなで南蔵院(篠栗にある霊場)に参拝に行ったことがある。 小さな長女は立ち並ぶお店にいろんなものが売られていたので、楽しそうに見て回っていたのだが、そのうちあるおもちゃの前でじっと動かなくなった。 別にほしいとか言ったわけではない。 ばあちゃんは長女に「これが欲しいんか?こうちゃろう。」と言うと、さっさとレジに持って行った。 そしてそれを渡すと、長女は「あーと!」(ありがとう)と言ってにこにこと笑った。 そのときの満足そうなばあちゃんの顔は忘れられない。 ・・・ボクが子供のころ、欲しいって言ってもあまり買ってもらえんかったぞ!? とは思ったが、ばあちゃんが哲也同様、子供をかわいがってくれることがうれしかった。 それだけに、次女の誕生まで生きてほしかったなぁ。 ばあちゃんとは衝突したこともあったが、本当に大事にしてくれた大好きな人だった。
なんか午後からめっちゃ晴れたけど・・・。 朝はけっこう雨が降ってました。 そんな中、今日は別府公園で散歩してきました! まず目をひいたのが真っ白で美しいハナミズキ。 かわいいですね! 色とりどりのポピーもきれいやった! そしてこの時期、やっぱりチューリップ! 黄色に 赤に ピンク。 ほんとかわいい! そうそう!単子葉類の例としてテストに出るから覚えてね! 途中、カモたちと一緒に散歩。 満開のボタン桜見つけました! いや、きれいすぎやろ! と、雨の中でも花たちを満喫して歩いてきました! では370日目の発表です! 結果3.9km! 累計1764.5km! 残り235.5km! 雨だったんでね・・・。 なかなか距離稼げないよね・・・。 それにしても別府公園はいつもながらすごい!
今日もいい天気でしたね! 恒例?の鶴見岳見ながらの散歩。 オニタビラコかわいかった! シャガはあいかわらず美しい! シロツメクサが全盛期になりつつある。 タンポポはまだきれいな花見れますが・・・。 綿毛が多くなってきました。 さて、自宅のさくらんぼはどうなってるでしょう!? かなり膨らんで色もついてきた! 今年も食べれる!・・・んだろうか・・・。 カラスにやられたり、強風で落ちたりするんでね・・・。 まあ、実りを待つしかない! では369日目の発表です! 結果3.0km! 累計1760.6km! 残り239.4km! ちょっと今日は距離伸ばせなかったなぁ・・・。 いろいろ忙しくて・・・。
じいちゃんはがんこな昭和の親父を絵にしたような人だった。 大戦では兵隊に駆り出され、なんとか生き延びたらしい。 軍服を着た若いころの写真見たがかっこよかったのを覚えている。 もともとは他県にいたが、炭鉱で働くために福岡へ。 その後炭鉱が閉鎖される中、町役場で働くようになった。 自分が保育園に通うころ、じいちゃんは自転車で役場に向かっていた記憶がある。 酒とたばこが好きで、医者から体のためにやめろとよく言われていたようだ。 厳しく亭主関白なじいちゃんだったが、なぜか孫の哲也をすごくかわいがってくれた。 頼りになり、優しい大好きなじいちゃんだった。 そんなじいちゃんだったが、哲也が年長のころがんになったということで入院した。 すでに体中に転移し手の施しようがないらしかった。 手術もしたが延命しただけで完治しなかった。 じいちゃんの強い思いで、最後は自宅がいいと、退院して帰ってきた。 わけがわからなかった哲也は、帰ってきてうれしい!なんて思っていた。 帰ってきても、ほとんど寝たきりであったが、じいちゃんの好きな野球を一緒にテレビで見るのが楽しかった。 哲也は小学生になった。ランドセル姿を見てすごく喜んでくれた。 じいちゃんは秋にある予定の運動会を見に行く!と張り切っていた。 時々、お医者さんが往診に来るのだが・・・。 5月のある日、ふだん穏やかな顔のじいちゃんが険しい顔をして医者呼んでくれ!と怒鳴った。 父が電話をし、ばあちゃんはじいちゃんのそばにくっついていた。 哲也はわけがわからなかったが、じいちゃんが苦しいんだろうと思い、じいちゃんのそばにいた。 そのうち、カッと見開いていた目が半開きになり 「お医者はまだか~。お医者はまだか~。」 を繰り返した。 ばあちゃんが手を握って、 「もうすぐ来る!」 と声をかけ続けていた。 哲也はなんとなく怖くなり、何度も玄関まで行ったり、じいちゃんのところに戻ったりを繰り返した。 「こんにちは!」 ガラッと玄関の戸が開く音がした。 ばあちゃんが 「お医者さん来たよ!」 と叫んだ。 しかし、それに対してじいちゃんは何の反応もなかった。 お医者さんは急いで家に入り、じいちゃんのところにきた。 そして脈をとったり、目にライトを当てたりしたあとポツリと言った。 「ご臨終です・・・。」 ばあちゃんが声を上げて泣き出した。 父も涙ぐんでいた。 何もわからない哲也だけが不思議そうにじいちゃんの顔を見つめ続けた。 なんとなく悲しいという気持ちはあったが それはじいちゃんが死んだというよりは ばあちゃんが大声で泣きわめくという、初めて見た光景に悲しくなったように思う。 死ぬという言葉は知ってはいたが、今一つどういうものかわかってなかったのだ。 その証拠に、棺桶に入ったじいちゃんを いつ目を開けるんだろうと思いながら、何度も何度もふたを開けて確認した記憶がある。 一向に目を開けないじいちゃんを前に 「なんで起きてこんと?」 と聞いたりもした。 火葬場でのこと・・・。…