ある日、大好きなじいちゃんが倒れた。
そして入院となった。
じいちゃんはガンだった。
すごい手術が必要らしかった。
子供ながらに、怖いしじいちゃんがどこかに行ってしまいそうだし、不安だった。
そのため、松の木のところで遊ぶことが減った。
マツノキクイムシがいてもじいちゃんを呼ぶことはできない。
ばあちゃんは元気でこのころはまだ働きに出ていて忙しかったし
親父は長距離トラックの運転手で、数日に一度しか返ってこない。
哲也には母はいなかった。おば(父の妹)が同居していて実の親のように育ててもらった。
と、哲也の家庭はそんな感じだった。
話はそれたが、少し前までバリバリ働いてたじいちゃんが、体調をくずして家にいるようになってから、哲也はじいちゃんにいろいろ頼りっぱなしだった。
かわいがってくれ、ときには厳しいじいちゃんが大好きだった。
でもそのじいちゃんは、今は家におらず、病院にいる。
ときどき見舞いに行くが、それ以外は会えない。
難しい状態らしく、田舎の近所の病院ではなく、福岡市の病院だったので毎日行くわけにはいかなかった。
そんなじいちゃんに会えない生活にやっと慣れたころ・・・。
久しぶりに哲也はあの松の木に近づいた。
「あっ!」
哲也は思わず声を上げた。
クチキムシが数頭木の周りにいる。
そしてよく見ると、マツノキクイムシもたくさんいる。
葉はほとんどが茶色で緑色の葉が少ない。
クチキムシがいるということがどういうことか・・・・。
本でいろいろ見たり読んだりしたことで、まだ保育園児の哲也は理解した。
クチキムシはその名のとおり朽ち木で生活する。
つまり、この松が朽ち木認定されたということだ。
このことを、次のお見舞いで言わなければ・・・。
哲也はそう思っていた。
あるとき、ばあちゃんが哲也に言った。
「明日は病院に行くばい。じいちゃん手術やけん。」
「手術?」
「じいちゃん、病気治すために手術せないかんとよ。」
「そうなん?大丈夫なん?」
「手術がうまくいったら、元気になるけん。」
哲也はそれを聞いて安心した。
手術という言葉は、なんか怖かったがじいちゃんが治ると聞いてほっとした。
手術当日、ものすごい時間がかかった。
何時間かは覚えていないが、病院の待合室でずっとたいくつしながら
ばあちゃんと、父とおばとみんなで待ってたのを覚えている。
そして、手術中のランプが消えた。
中からお医者さんが出てきた。
説明のためばあちゃんと父が呼ばれた。おばは哲也のそばにいてくれた。
取り出したがん細胞を見せてくれるらしかったが、お医者さんは
「君は見たら夢に見るだろうから、おうちの人にだけ見せるね。」
そう言って、二人を連れて行った。
戻ってきたばあちゃんは涙を浮かべていた。
手術したが、あちこちに転移していて、もうこれ以上どうしようもないと。
結局その日はじいちゃんは目を開けることなく、話もすることもできずに帰宅した。
それからほどなくして、じいちゃんは家に帰ってきた。
最後は病院じゃなく、家がいいという本人の希望からだ。
よくわかってない哲也は、じいちゃんが帰ってくるのがうれしかった。
よくなったのかも?と思い、そういう発言をして、ばあちゃんを悲しませていたかもしれないと思うと、このころの自分をしかりつけたいくらいだ。
ただ、じいちゃんは帰ってきても弱々しく、ほとんど寝たままだった。
それでも哲也はじいちゃんに話しかけた。
松の木の状況も話した。
じいちゃんはうんうんとうなずくばかりで、それ以上はなにも言わなかった。
もう殺虫剤をもって出ていくこともなかった。
時々、近所の病院の先生が往診に来てくれていたのだが、先生が来る予定ではないある日・・・。
じいちゃんがばあちゃんに、
「医者を呼んでくれ。」
と言った。
その目はうつろで、子供の哲也にも覇気がないのが分かった。
このとき、哲也は小学1年生になっていた。つい先日ランドセル姿を披露し、喜ぶじいちゃんを見たばかりである。
哲也が小学生になったら運動会を見に行くというのが、じいちゃんの口癖だった。
あと何か月かすればその夢がかなう。
そんな中、じいちゃんは苦しそうに
「先生はまだか。先生はまだか。」
と繰り返した。その声はだんだん小さくなっている気がした。
「おじゃまします。」
先生が到着した。
ばあちゃんは出迎えに行った。
そのとき哲也はじいちゃんの目がゆっくりと閉じていくのを見た。
先生とばあちゃんが部屋に来た。
父とおばもいる。
このとき、じいちゃんの目は完全に閉じていた。
もう先生と呼ぶことはなかった。
先生は目に懐中電灯をあてたり、脈をとったりした。
しばらくいろいろやったあと、先生はぽつりと言った。
「ご臨終です。」
ばあちゃんが泣き崩れた。
父もおばも泣き始めた。
だが、意味の分からない哲也は泣くみんなを見て、不安そうにじいちゃんを見つめるだけだった。