Category: とんでもない親父がいたもんだ・・・

とんでもない親父がいたもんだ・・・ 第2章 親父 その1

若き日の父。 それは家族から聞いた話、父本人から聞いた話、そしてわずかに残る父の写真から想像したものしかわからない。 少年時代、次男として宮脇家に生まれた父は、勉強ができ、スポーツもできる子供だったらしい。 ※長男は詳しい説明を省くが、当時失踪し居場所がわからなかった。のちに見つかるがその話はここでは割愛する。 そろばんが得意で、何段だったか忘れたが昇段試験なども受けていたらしい。 そのあたりは、合格時に撮った写真や、証書などもあることから本当だと思われる。 実際計算するときには、宙で指をそろばんをはじくかのように動かしながら暗算していた。 事実、計算がめちゃめちゃ早いことは間近で見てきた。 我慢強い人で、こんな逸話がある。 修学旅行でおこづかいをもらってでかけたのだが、好きなものも買わず、食べたいものも食べず、修学旅行中に出された食事だけを食べて、おこづかいはまるまる全部持って帰ってきたそうだ。 こんなこと、哲也にはできない・・・。 痩せてたが筋肉質で、力も強く短気な性質で、けんかっ早い。 そのため何度か学校ではけんかをして、ばあちゃんが出向くことになったそうだ。 自称、女の子にはモテてたらしい。 ばあちゃんもそう言ってたから、もしかしたらそうなのかもしれない。 中学でそれなりに成績が良かったことから、先生に高校を勧められたそうだが、家の経済状況が裕福なわけでもなく、ねえちゃん(=父の妹、哲也のおば。なぜねえちゃんと呼ぶかは→コチラ)もいたのですぐに働くことにしたらしい。 土方やいろんな作業現場で働き経験を積み、最終的には普通の免許だけでなく 大型や大型特殊免許もとり、トラックやトレーラー、クレーン車などを扱う運送会社に勤めていた。 いわゆる「トラックの運ちゃん」である。 本当は板前になりたかったらしく、自分なりに勉強したみたいだが、そういう状況だったため断念し一家を支えてくれていた。 本編でも詳しく述べていくが、料理の腕は本当にすごかったと思う。 魚はもちろん、鳥や獣も捌く。 ばあちゃんやねえちゃんがつくる料理も大好きだったが、たまに父がつくると心が躍ったのを今も覚えている。 とにかく、そうしてトラックの運転手となった哲也の父。 運転は長距離のときもあり、数日帰らないこともしばしば。 そんな中、いわゆる哲也の母と出会ったと。 結婚したとき、実家から離れて暮らし始めたらしい。 ほどなくして哲也が誕生。(ちなみに早産で1700gの未熟児であった。) 幸せな家庭を築いていた・・・。 のかと思いきや・・・。 ある冬の夜のこと・・・。 実家にて、ばあちゃんがなんとなく異変を感じ取った。 離れて暮らす父が停めるはずないのに、駐車場に車が停まった気がしたらしい。 ※駐車場は哲也の実家から100mほど離れていた。 父がなんらかで帰ってきたのなら、そのうち家に入ってくるはずだ。 だが一向に誰も入ってこない。 なんとなく気になったばあちゃんは駐車場まで歩いて行った。 すると父の車が停まっていた。 それなのに誰も降りてこない。 不思議に思ったばあちゃんは慌てて駆け寄ったそうだ。 すると・・・。 中では高熱でうなされ動けなくなった父と、同じく熱を出して真っ赤になった赤ちゃんが乗っていた。 そう、その赤ちゃんこそが哲也である。 父の意識も朦朧としていたらしいが、赤ちゃんのほうも泣くこともなく、ただひぃひぃと呼吸しているだけの状態だったようだ。 すぐさま救急車を呼び、病院に運び込まれた。 二人とも結構危ない状態で、特に赤ちゃんはあと1時間も放置していれば死んでいただろうと・・・。 まさにばあちゃんの機転で二人とも助かったのだ。 このとき哲也はわずか生後4か月。 回復した父の話によると、赤ちゃんが生まれたとたん、嫁の育児放棄が始まったようだ。 数日に一度しか帰らない父は、帰ってくるたびに哲也が放置されており、何度も注意したり叱ったらしいが、改善しなかったようだ。…

とんでもない親父がいたもんだ・・・ 第1章 家族紹介 その3 ねえちゃん

ねえちゃんというと、ふつうはお姉さんを指すのだろう。 しかし、哲也にとってのねえちゃんは父の妹。すなわちおばのことである。 おばは結婚、離婚を繰り返した。 結婚して遠くに行ったとき以外は、実家で一緒に住んでいた。 じいちゃんが生きているときはばあちゃんと父とおばと哲也で暮らしていた。 母がいない哲也にとって、おばはお母さんのような存在であったが、ママと呼ぶことはできない。 しかしおばは(そのころ若く)おばさんと呼ばれるのはいやだということで 哲也にねえちゃんと呼ぶように教育してきたのだ。 物心ついたころにはおばのことを(おばの思惑通り)ねえちゃんと呼ぶようになった。 以下、おばはねえちゃんと書くことにする。 哲也が小さいころ、一度結婚すると家を出たが男の赤ちゃんが生まれたころに戻ってきた。 すなわちいとこが誕生したときである。 それからそのまま一緒に住んだので、いとことは兄弟のように過ごした。 ただ、数年後ねえちゃんは借家に引っ越し2回目の結婚をした。 相手は前と同じだった。 なぜ家を出たかというと、家族から結婚をものすごく反対されたからだ。 家を出たといっても、このときは実家から歩いてもいける場所だったので哲也はねえちゃんやいとこに会うため時々遊びに通った。 そのうちまた赤ちゃんができた。こんどは女の子だった。 哲也にとってはいとこが二人になったのだが、弟と妹ができた気分だった。 そのため、いとこたちとは仲良くやっていた。 結局そのあと、またねえちゃんは離婚した。 ねえちゃんは自分の子を二人育ててたわけだが、同時に哲也のことも本当の子供のようにかわいがってくれた。まさに母と言ってもいい関係だったと思う。 哲也が大学で鹿児島に移り、その後も就職で実家には戻らなかったので、会う機会は減ったが ねえちゃんはいつも哲也を気にかけてくれた。 ちょくちょく電話もかかってきた。 哲也に子供が生まれたときも、連れて行くと「孫ができた!」と言って喜んでかわいがってくれた。 そんなねえちゃんもちょくちょく病に倒れ、何度か生死をさまよい、そのたびに奇跡の復活を果たし医者を驚かせてきたのだが・・・。 先日、ついに亡くなってしまった。 最後の方はコロナ禍のため、入院中の見舞いにもほとんどいけず、なかなか会えなかったのが悔やまれる。 亡くなる少し前にビデオ通話したのが顔を見た最後だった。 意識がなくなり、もう助からないというときに連絡をもらったが、そのあとすぐに亡くなったそうだ。 もちろん葬式には駆けつけたが、いとこの話によれば、意識がなくなる少し前に 「哲也~。哲也~。」と繰り返していたそうだ・・・。 やはり悲しい。そして同時に感謝した。自分の子ではないのに本当に自分の子として、哲也のことを常に気遣ってくれてたんだなぁと改めて思った。 そんなねえちゃんの生涯は波乱万丈で、細かく語ればこれもドラマになりそうなほどである。 しかし、息子・娘に看取られ、幸せな生涯だったと思っているに違いない。 いずれにせよ、複雑な家庭と思われるであろうが、哲也にとってねえちゃんは大事な家族だったのである。

とんでもない親父がいたもんだ・・・ 第1章 家族紹介 その2 ばあちゃん

じいちゃんの紹介でも出てきたばあちゃん。 現在はすでに他界してしまったが・・・。 哲也にとって、ばあちゃんは本当に大事な存在だった。 実は哲也には母がいない。 このことは必要なので、また別に詳しく書くが ばあちゃんはそんな哲也をかなり大事に育ててくれた。 畑いじりが好きで、作物をつくったり、花を植えたりしていた。 収穫を手伝うのは日課であった。 まだ哲也がおさないころは土木現場で働いていた。 じいちゃんが亡くなって何年か経ったあるときからだを壊して、仕事に行けなくなった。 入退院を繰り返したが、調子いいときはとにかく畑いじりをしていた。 これも後述するが、父もからだを壊し収入がなくなったとき、ウチは生活保護を受給することになった。 そんな中、堅実なばあちゃんは哲也のためとコツコツお金をためていて、大学行きたいという願いも叶えてくれた。思えばかなり苦労かけたものだ・・・。 哲也が大学生になり鹿児島に行き、そのあとの就職も県外だったため、帰省した時しか会えなかったが、いつも会うとほっとした。それだけ哲也にとってばあちゃんは大きな存在だった。 心臓病になり手術したときのこと・・・。 県外で塾講師として働いてた哲也に、ばあちゃんは「ウチがこうなったのは知らせんどき。」とまわりに口止めしてたらしい。 そのため手術のことを聞いたのは、体調が落ち着き退院したあとだった。 怒りたい気持ちもあったが、哲也の仕事に支障を出すまいと口止めした気持ちを考えると怒れず、ただただ気を使わせて申し訳なかった。 それからしばらく元気だったようだが、あるとき心臓病が再発。瞬く間に弱り、駆けつけたがほとんど意識がない状態だった。 それからしばらくしてばあちゃんはこの世を去った。 何もしてやれず、もっとそばにいれたらと思ったが、ばあちゃんは常日頃、哲也が元気で家族と仲良くやってくれてれば幸せなんだと言ってたらしい。 こんなばあちゃんを哲也は誇りに思っている。 長女が小さいころ、実家に連れていき、ばあちゃん含めみんなで南蔵院(篠栗にある霊場)に参拝に行ったことがある。 小さな長女は立ち並ぶお店にいろんなものが売られていたので、楽しそうに見て回っていたのだが、そのうちあるおもちゃの前でじっと動かなくなった。 別にほしいとか言ったわけではない。 ばあちゃんは長女に「これが欲しいんか?こうちゃろう。」と言うと、さっさとレジに持って行った。 そしてそれを渡すと、長女は「あーと!」(ありがとう)と言ってにこにこと笑った。 そのときの満足そうなばあちゃんの顔は忘れられない。 ・・・ボクが子供のころ、欲しいって言ってもあまり買ってもらえんかったぞ!? とは思ったが、ばあちゃんが哲也同様、子供をかわいがってくれることがうれしかった。 それだけに、次女の誕生まで生きてほしかったなぁ。 ばあちゃんとは衝突したこともあったが、本当に大事にしてくれた大好きな人だった。

とんでもない親父がいたもんだ・・・ 第1章 家族紹介 その1 じいちゃん

じいちゃんはがんこな昭和の親父を絵にしたような人だった。 大戦では兵隊に駆り出され、なんとか生き延びたらしい。 軍服を着た若いころの写真見たがかっこよかったのを覚えている。 もともとは他県にいたが、炭鉱で働くために福岡へ。 その後炭鉱が閉鎖される中、町役場で働くようになった。 自分が保育園に通うころ、じいちゃんは自転車で役場に向かっていた記憶がある。 酒とたばこが好きで、医者から体のためにやめろとよく言われていたようだ。 厳しく亭主関白なじいちゃんだったが、なぜか孫の哲也をすごくかわいがってくれた。 頼りになり、優しい大好きなじいちゃんだった。 そんなじいちゃんだったが、哲也が年長のころがんになったということで入院した。 すでに体中に転移し手の施しようがないらしかった。 手術もしたが延命しただけで完治しなかった。 じいちゃんの強い思いで、最後は自宅がいいと、退院して帰ってきた。 わけがわからなかった哲也は、帰ってきてうれしい!なんて思っていた。 帰ってきても、ほとんど寝たきりであったが、じいちゃんの好きな野球を一緒にテレビで見るのが楽しかった。 哲也は小学生になった。ランドセル姿を見てすごく喜んでくれた。 じいちゃんは秋にある予定の運動会を見に行く!と張り切っていた。 時々、お医者さんが往診に来るのだが・・・。 5月のある日、ふだん穏やかな顔のじいちゃんが険しい顔をして医者呼んでくれ!と怒鳴った。 父が電話をし、ばあちゃんはじいちゃんのそばにくっついていた。 哲也はわけがわからなかったが、じいちゃんが苦しいんだろうと思い、じいちゃんのそばにいた。 そのうち、カッと見開いていた目が半開きになり 「お医者はまだか~。お医者はまだか~。」 を繰り返した。 ばあちゃんが手を握って、 「もうすぐ来る!」 と声をかけ続けていた。 哲也はなんとなく怖くなり、何度も玄関まで行ったり、じいちゃんのところに戻ったりを繰り返した。 「こんにちは!」 ガラッと玄関の戸が開く音がした。 ばあちゃんが 「お医者さん来たよ!」 と叫んだ。 しかし、それに対してじいちゃんは何の反応もなかった。 お医者さんは急いで家に入り、じいちゃんのところにきた。 そして脈をとったり、目にライトを当てたりしたあとポツリと言った。 「ご臨終です・・・。」 ばあちゃんが声を上げて泣き出した。 父も涙ぐんでいた。 何もわからない哲也だけが不思議そうにじいちゃんの顔を見つめ続けた。 なんとなく悲しいという気持ちはあったが それはじいちゃんが死んだというよりは ばあちゃんが大声で泣きわめくという、初めて見た光景に悲しくなったように思う。 死ぬという言葉は知ってはいたが、今一つどういうものかわかってなかったのだ。 その証拠に、棺桶に入ったじいちゃんを いつ目を開けるんだろうと思いながら、何度も何度もふたを開けて確認した記憶がある。 一向に目を開けないじいちゃんを前に 「なんで起きてこんと?」 と聞いたりもした。 火葬場でのこと・・・。…

とんでもない親父がいたもんだ・・・ 序章

とんでもない親父・・・。 哲也と父の様々なエピソードをつづったお話を書いていきます。 哲也の父を語るには、哲也の家庭環境や家族について知っておいてもらう必要があります。 というわけで、数回にわたり、まずは家族の紹介からしていきたいと思います。 ちなみにキャッチは亡き父を思い出しながら、ボクが描いたものです。 うまくはないですが・・・。 何はともあれ、哲也と父の間で起こったたくさんのエピソードを思い出しながら書いていきたいと思いますので、ぜひ読んでいただけたらと思います。 コツコツと少しずつ書いていくので、ブログチェックお願いします! ちなみに「とんでもない親父」とありますが 自分は子供のころは、その親父が基準であり、それが普通と思っていました。 今になって考えると、常識では考えられない親父だったんだと実感しています。 そういったところが伝わるといいなぁという思いで書いていきます。 もう父がこの世を去ってかなり経ち、 いつのまにかもう少ししたらその父の年齢に追いつくというこの折に 亡くなった事実をしっかりととらえ、いろんな思い出をまとめ、形にしたいと思いました。 みなさんにどう映るか・・・。 心配もありますが、ほとんどノンフィクションで(面白くするために少しは盛るかもですが、基本事実を書きます。) そういう親父が存在していたんだということを知らせたいので まあ、心象悪くしても仕方ないかな?と。 むしろ、そんな親父のもと、ボクはよくまともに育った!と思われることを期待しつつ・・・。 そんな親父の話、ぜひお楽しみください。