ある夏の夜。暑くて寝苦しかった。 哲也は何か飲もうと思い、家族が寝静まった中、一人起き上がった。 冷蔵庫に向かい、麦茶をコップにそそいだ。 冷えた麦茶を一気に飲み干し、さて寝ようか・・・。と思いまたふとんにもどろうとした。 そのとき、何となく「ちょっと虫かご見てから寝よう。」と思った。 それで哲也はすぐにふとんには向かわず、虫かごのほうに向かった。 バッタの家の近くまで来た時、哲也ははっと息をのんだ。 ショウリョウバッタが土におしりをさしていたのだ。 あの細身のまっすぐなきれいな緑色の体。 それが今は、おなかを大きく下に向けて曲げている。 おしりの先は土中にあるのか見えない。 「産卵中だ!」 哲也はバッタを驚かさないよう、心の中で叫んだ。 なるほど、彼女は夜に産卵行動するから、これまで見られなかったのかもしれない。 とりあえずは、この行動を見たのはこのときが初めてだった。 ものすごく感動した。 図鑑には、トノサマバッタではあるが 土中におしりをさして卵を産む様子の写真があり、これまで何度もそのページを見返していた。 それと同じ光景が、ついに哲也の目の前で行われている。 こんなすごいことがあるだろうか!? 哲也の興奮はとまらなかった。 それからほどなくして、哲也は再びふとんにもどったが、目がぱっちりと開いたまま、なかなか眠れなかった。 次の日の朝、哲也は再びバッタの家をのぞきこんだ。 何も変わったようすはない。 ショウリョウバッタは昨夜何事もなかったかのように、普段通り草にかじりついている。 ただよく見ると、昨日バッタがおしりをさしこんでいたと思われる場所が不自然にでこぼこしていたが・・・。 これはホントによく見ないとわからないし、そもそも昨日その光景を見ていなかったら全く気付かないレベルだった。 野外の産卵のあともこうなのだろうか? いずれ、その現場を見てやろうと思った。 それからほどなくして秋がきて、元気だったショウリョウバッタも突然終わりを迎えた。 いつもバッタのなかまを飼い、そうやって死んでいくことには慣れていたはずだが、彼女の死は今までと違った。 なんともいえないさびしさがこみあげてくる。 バッタの飼育法の確立。 キチキチバッタとの交尾のようす。 土中におしりをさしこんでの産卵行動。 彼女はいろんなものを哲也に残してくれた。 これでもそうとうありがたかった。 しかし、まだ彼女の意思は残っている。 哲也は冬場、土が乾燥しないように時々霧吹きをした。 そして、土中の卵を見たい!という衝動に駆られながらも、そうすることで卵がダメになってはいけないと思い、必死に自重した。 そうこうしているうちに、寒い寒い冬も終わりを告げる。 春の到来である。